世界一TikTokを愛する男のブログ

TikTok is changing the world. It's time we change too.

誰も気付いていないTikTokの本当のイノベーションを語る

TikTokは良い動画が一瞬でバズりやすい。それは例え、あなたの最初に投稿した動画だったとしても。これはYouTubeと対極的である。YouTubeでは無名の人がどんなに面白い動画を投稿しても、そもそも誰にも見てもらえない。YouTubeで毎日毎日面白い動画を投稿し、たまたま見てくれた人が読者登録してくれたりして、数ヶ月、半年と努力を継続しなければならない。

一言で表せば、YouTubeは「信用経済」「評価経済」時代のプラットフォームなのである。

たくさんの登録者数を持つYouTuberが強い。少ない登録者数しか持たないYouTuberは弱い。弱いYouTuberは、たくさん登録者数をゲットするまで、修行する。そういう世界だ。

一旦インフルエンサー級まで自分の信用や評価を蓄積することができれば、後は自由自在に動きやすい。他のYouTuberともコラボしやすいし、企業案件もどんどん舞い込んでくるし、面白い動画をあげればファンが大興奮するし、そんな感じで自分のブランドが確立する。

Twitterでも基本的には同じで、無名のアカウントで有益なことをつぶやいても、すでにフォロワー数を多数持つインフルエンサー級のアカウントにリツイートしてもらわない限り、バズらない。

TwitterでもYouTubeでも、多くの人の限りある時間とアテンションは、一部の信用・評価の高い人達の寡占状態となっている。もちろん、有益な内容をつぶやいたり、面白い動画を作成する自信があるなら、努力を継続することによって、少しずつ評判を獲得し、少しずつファンを増やし、その寡占の輪の中に入れるので、一応全員にチャンスは開かれている。フェアではあるし、これを問題視するつもりはない。

長い下積みが必要なYouTuberの世界

今回注目したいのは、有名になるまでに時間と労力があまりにかかりすぎることである。

例えばヒカキンがはじめてYouTubeに投稿した動画(2007年9月24日)はこちら。
www.youtube.com
それから半端ない数の動画が長期間にわたって投稿され続けて、現在のヒカキンの姿がある。ヒカキンの圧倒的な量と下積みは多くのYouTuberのみならず、ビジネスパーソンからも尊敬を集めている。

「いや、初期のYouTuberと比べたら、最近はさらに短期スパンで有名になる人も出てきているのでは?」という反論もあるだろう。

そのとおり。2016年12月にデビューしたVTuberキズナアイさんは、1年半程度でYouTubeチャンネル登録者数200万人を突破した。他にも、わずか1〜2年で有名になった例は数えきれない。うまく行き話題を呼べば、半年程度で50万人のYouTube登録者数に達する人もいる。

それは、TwitterYouTubeなどのプラットフォームがない時代であれば、信じられないことだった。以前であれば、5年〜10年と修行して、上手く学歴ブランドや大企業ラベルを有効活用しながら自分を打ち出していくのがよくあるパターンだった。なので、歴史的にはどんどん短くなっているのは事実である。

しかし、だ。TwitterYouTubeでかかる時間は、それでもあまりに長すぎる。

なぜか?TikTokと比べればその理由がよくわかる。

TikTokでは根本的に仕組みが異なる。まず、新規のユーザーが、TikTokでどんなにつまらない動画を投稿しても、数百名には見てもらえる。すごいでしょ?これは学校の自分の学年の全員の前でネタを発表するぐらいのインパクトがある。これはTikTokでファン数ゼロであっても、Twitterなど他の媒体で自分の動画を宣伝しなくても、数百回は行く。Twitterで無名の人があるつぶやきをしても、たぶん誰にも読んでもらえないし、YouTubeで動画をアップしても、視聴回数ゼロ、良くて10回ぐらいしか再生されないかもしれない。

実際、YouTubeの「オススメ」を見ても、有名YouTuberばかり。上の椅子が全部埋まっているような感じ。だからこそYouTubeの競争はレッドオーシャンだし、底辺YouTuberがうじゃうじゃ埋もれているのが実態。中にはすごい才能があるYouTuberもたくさん眠っていることだろう。

TikTok最大のイノベーション

さて、TikTokではなぜ、無名の人でも数百人に動画を見てもらえるのか?

これは、新規の動画を、全TikTokユーザーで負担しあって見ているからである。

「オススメ」から動画を次々に見ていると、基本的にはバズった動画しか出てこないが、10〜15回に一回は、いいね数がゼロや数個しか着いていないような「新規動画」も紛れ込んで流れてくる。この仕組みを発明したことが、TikTokの真骨頂。

一見、普通の仕組みだが、これをYouTubeで再現することは不可能であるYouTubeでは10分〜20分の動画が多いので、新規のつまらない動画を皆で分け合うことが成立しない。だって、素人の動画編集に不慣れで内容も洗練されていない10〜20分の動画を強制的に見せられたら、苦痛でしょ?動画の途中で流れてくる数十秒の広告ですらイライラするんだから!そんなことをユーザーに強要したら、ユーザーが一瞬でYouTubeを離れていくに違いない。

しかしTikTokでは15秒のショートムービーが前提だ。例えつまらない動画がたま〜に流れてきても、それを視聴することの負担は小さい。15秒のうち、せめて最初の7秒は見てみて、面白くならなさそうなら途中で辞めて次の動画に進んでしまってもよいだろう。

強制的に少なくとも数百人に閲覧してもらう機会が与えられ、そこでの反応が良く最後まで視聴される比率が多かったり、ファン登録ボタンが押されたり、いいねがたくさんついたりすれば、さらに多くの人に閲覧されるよう、(TikTokを運営する)ByteDanceのAIが、その動画をますます押し上げてくれるのだ。

つまり、新規の動画を強制的に数百名に見てもらって、面白い動画が埋もれてしまわずに、すくい上げるようなプロセスが確立しているのがTikTok

だからこそ、無名の人でもしょっちゅうバズっているし、底辺YouTuberが登録数を稼ぐために1〜2年と下積みの修行をしているうちに、あっという間に有名TikTokerになってしまうのである。

初心者TikTokerが長い動画を投稿できないことの真意

15秒という短い時間だからこそ、数百名のユーザーに視聴を強要させているという話を紹介してきた。しかし、「いやいや、TikTokでは最近1分の長い動画も存在するし、中国版TikTokでは2分の動画も解禁されたって言うじゃん。それと矛盾するのでは?」というツッコミがあるかもしれない。

実は1分の動画の投稿を許されているのは、すでに一定のファンを獲得したTikTokerのみである。これもまた、TikTokの大発明であるのだが、一定のファンを持つプチインフルエンサーは過去の15秒の動画に関するデータが溜まっている。どういう人が好んでいるのか。どういう時間帯に見られやすいのか。そういったビッグデータがすでに存在するので、そもそもランダムに300人の人たちに視聴を強要する必要すらない。

例えその1分の動画をランダムな数百名に閲覧することを強要したとしても、多くのファンを獲得する実力があるTikTokerの動画ゆえ、面白い可能性が高い。強要されて、「時間を無駄にしたわ!!」とユーザーの効用を下げるリスクも低い。

逆に、初心者ユーザーの1〜2分の動画を皆で負担しあって数百回の視聴数に達するような仕組みを構築するのは、難しい。

YouTubeで負担し合う仕組みを導入できない理由と同じで、長くてつまらない動画をユーザーに強要すれば、ユーザーの効用が著しく低下してしまうはずだ。そのため、初心者には15秒までしか投稿させないというのは、非常に理にかなっている。

AIエンジニアの間では、新規投稿者(TikToker)のデータが少ない時に、誰に「オススメ」すればよいのかAIが判断できないことは「コールドスタート問題」として知られている。15秒というショートムービーの特性を生かして、これを人間介在型(Human-in-the-loop)の仕組みで解決したのがByteDanceの凄み。「ByteDanceはAIがすごい」と言う人がいるけど、この人間介在の仕組みの発明の方がはるかにすごい。

まとめると、入り口では15秒の動画に限定することでYouTubeのような従来型の評価経済プラットフォームとは根本的に異なる仕組みの導入に成功し、新規動画をたくさんの人に見てもらう(負担してもらう)一連の流れを実現したことがTikTokイノベーション。これにより早期に面白いコンテンツを漏れなく発掘し、さらには人間が介在した形でビッグデータが蓄積される。次に、人気になってからは長い動画を解禁し、従来型の評価経済プラットフォームに近い形を取るある種のハイブリッド型とも解釈できる。その段階になればデータも蓄積されており、データハングリーなAIによる「オススメ」の精度が高くなる、という流れだ。

インフルエンサーの時代が終わる

せっかくなので、TikTokから少し引いた目線で、インターネットの世界について一般化した話をしてみたい。

今の世の中では、インフルエンサーが大きな力を持っている。以前は資格試験、学歴、職歴を頑張ってブラッシュアップしていたように、いまの時代はインフルエンサーになろうとせっせと修行している人も多い。

フォロワー数を増やすのはどうすればよいか?登録者数が増えるのはどういうタイミングか?リツイートされやすいツイートはどういう傾向があるか?SEOは何が正解なのか?どういう動画がバズるのか?サムネはどうすればいいのか?

しかしその修行は、コンテンツ(または何らかのアウトプット)に本質的に関係のある修行なのか?それとも自分のインフルエンス(影響力)を拡大するための修行なのか?

コンテンツのレベルを上げるための修行は今でも重要である。むしろますます重要になっていく。

しかしインフルエンス(影響力)を拡大するための努力や修行は今後、緩やかに終わりを迎える。もちろん影響力があることに越したことはない。でも、TikTokイノベーションにより、たとえ無名の人が作ったコンテンツでも、価値さえあれば、ちゃんと人目に触れるような、多くの人に届くような仕組みが当たり前になりつつある。

今までは自分で拡散経路を確保しなければならなかったが、これからはプラットフォーム側の責任になる。そのようなプラットフォームに自然に人が集まり、そうでないプラットフォームは淘汰される。

インフルエンサーについて語る時に、学歴や資格試験のための勉強が批判されることが多い。今の時代に合うような意味のあるアウトプットにつながらないことが多いからである。

それと同じように、インフルエンサーになるための努力が本当に意味のあるものなのか、今起きている時代の変化に沿うものなのかは絶えず点検すべきである。

現在インフルエンサー級の影響力を持っている人はその影響力を駆使して、よりよい人生を歩んでいけばよいだろう。しかし私を含め、非インフルエンサーは今後どのように生きていくべきか?与えられている人生の時間は限られている。常に次の時代に重要なことを見据えて、「本当に意味のあること」を先回りして掴み取らなければならない。

時代によっては知識が重要なこともあったし、人脈が重要なこともあった。そしてここ5年ぐらいは、インフルエンス(個人としての評価、信用)が重要な時代だったと振り返ることができる。

しかし今、評価でも信用でもなく、価値そのものが重要な時代に突入している。

最後に、TikTokの公式ビジョン(理念)を引用してこの記事を締めくくろう。

TikTok is a destination for short-form mobile videos. Our mission is to capture and present the world's creativity, knowledge, and precious life moments, directly from the mobile phone. TikTok enables everyone to be a creator, and encourages users to share their passion and creative expression through their videos.

世界のクリエイティブな瞬間や、知識、人生の貴重な局面をスマートフォンから直接捉えることがTikTokのミッション。

YouTubeは結局、パンピー(一般人)をクリエイターにすることはできなかった。しかしTikTokは、誰しもがクリエイターになり、自分のパッションやクリエイティブな創造力を存分に発揮するような世界を実現しようとしている。我々は今、一億総クリエイター時代の幕開けの真っ只中を生きている。

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TikTokと、日常と、音楽と、大人と、青春。

(注意:今回の記事はTikTokの分析ではなくポエムです。ご注意ください。)

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TikTokに溢れる中高生の眩いリア充動画を鑑賞しすぎたせいで、「青春って何だろう?」ということを考え始めてしまった。

いい年して厨二病が再発してしまったのかもしれない。先日、妻に「青春って何だと思う?」と話しかけたら、ドン引きされるようなこともあった。が、それでも「青春」が頭から離れない。

日常

青春について考えていると「日常」という概念にたどり着く。

TikTokでは「#日常をtikる」というハッシュタグがあるぐらい、日常のちょっとした瞬間が数多く投稿されている。

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先日、自分が中高生だったときの写真を見返す機会があったが、修学旅行や卒業式などの「非日常」の写真ばかりで、「日常」が意外に残っていないことに気付いた。

日常は時間差によって価値が生まれる。私が毎日行っている会社のオフィスは「日常」過ぎて何の価値もないと思ってしまう。少なくとも今は、デスク周りや給湯室の写真や動画を撮ろうとは思わない。

しかし、10年後には「こんなオフィスでこんな仕事していた時期もあったなぁ〜」という『思い出』へと成長していくかもしれない。

「会社でバレずにTikTokをやる」という企画で2万人超えのファン数を獲得したTikTokerえり子さんの動画も、そういう意味では「会社の日常」をたくさん投稿している。将来良い思い出になりそうで良いなぁと思う。

日常をわざわざ切り取ろうというモチベーションが湧いてこないところに切り込み、音楽と動画の力で日常を吸収し始めたTikTokはすごいな、と改めて思わされる。

自分の(非日常の)過去の写真を見返して「楽しかった」とは思ったとしても、「高校生に戻りたーい!」とは思わないし、あまり当時の青春は蘇ってこない。しかしTikTokを見ていると「青春っていいなぁ」という気持ちになるのは、日常にこそ思い出は宿るという背景があるのではないかと思った。

音楽

TikTokを始めてから自分に起きた大きな変化の一つが、音楽を聞くようになったこと。中高生のときは毎週ツタヤに行って5枚ぐらいアルバムを借りて、自分のPCに取り組む、というのを繰り返していた。

大人になるにつれて、音楽をあまり聞かなくなっていった。大学生以降は私の頭の中で音楽がまったくアップデートされなくなったので、カラオケに行っても、中高生時代に熱心に聴いていた曲しか歌えない。

しかし、最近はまた音楽を聞くようになってきた

そもそもTikTokをインストールしたのは「DJ社長の動画を観たほうが良い」と勧められたからであり、レペゼン地球さんの曲を聞くようになったし、勢いでレペゼン地球・幕張ライブにも参戦してしまった。

他にも、45万人のファンを持つ大人気TikToker成瀬さん『ただ君に晴れ』(バンド:ヨルシカ)に載せた美しい動画に衝撃を受け、そこからはヨルシカさんの曲を色々聞くようになった。ヨルシカの中の一員であるn-bunaさんが楽曲を頻繁に提供している三月のパンタシアさんにたどり着き、曲を聞いていたらYouTubeのレコメンデーションシステムにお勧めされて、美波さんの曲も聞くようになった。

曲を何度も聴いていると、歌詞の意味も理解したいという気持ちになる。ちゃんと曲をググって、スマホで歌詞を見ながら聞いている。これは自分が中高生時代のときと似ている。当時もこんな風に、歌詞をちゃんと咀嚼したいという思いで歌詞カードを眺めていたなぁ、と。

「はぁ、高校生に戻りたい」と思いながら、『青春なんていらないわ』(三月のパンタシアさん)という曲を聴いていてハッとなった。確かに、自分にも「青春なんてどうでも良いから早く大人になりたい」と思っていた時期があったと思い出した。*1

当時、日常的に感じていたこういう想いというのは、大人になると綺麗さっぱり忘れてしまい、残ったものは「青春」という無害な単語に押し込められてしまう。それに加え、長年に渡って様々な青春映画を摂取することで、商業的な雰囲気の「THE 青春」という均一化された物が脳内を占めるようになる。

例えば「学校の屋上」は映画で頻繁に登場するシーンだが、今どき屋上は施錠されている学校がほとんどで、屋上を経験したことのある人は絶滅に向っている。もしかしたら映画監督も屋上は未経験かもしれない。それでも映画を観る人は「屋上=青春」と刷り込まれる。

しかし、TikTokで他の中高生の日常に溶け込む経験をしたり、中高生が好む音楽を歌詞を眺めながら一生懸命聞いているうちに、「表面的な青春」の奥深くに隠れていた、些細かつ生々しい感情が蘇ってきたようにも感じる。

逆に、大人になった今の自分は、当時の自分がなりたかった大人になれたのだろうか?そういう厨二病チックなことを、『main actor』『ライラック』(美波さん)、『藍二乗』『ヒッチコック』(ヨルシカさん)を聴いていると、考えさせられてしまう。

青春

結局、青春とは何なんだろうか?

その対象が「好き」というのは重要な要素だろう。野球が好き。テニスが好き。プログラミングが好き。ダンスが好き。TikTokが好き。この曲が好き。

その活動から金銭的な対価が発生しないというのもポイントかもしれない。中高生の部活動は仕事ではない。試合に勝ったからと言ってお給料がもらえるわけでも、企業スポンサーがつくわけでもない。

しかし好きで、対価が発生しないだけでは青春にならない。例えば、単に好きでやっているだけで無報酬の「趣味」を、「青春」とは呼ばない。

それでは、何が足りないのだろうか?

青春というのは「青い春」と書く。

青空の後には夕焼け空が来るように、春の後には夏が来るように、どちらも必ず終わりがくる。好きで好きで仕方ないことに、終わりが来る。

もっともっと皆と野球をしたいのに、夏の甲子園で部活動から引退しなければならない。ずっと続いてほしい学生生活であっても、3月には卒業式を迎える。

そういう有限さが我々を熱い気持ちにさせる。

なんて美しい花火なんだろうと思っても、パッと咲いては、一瞬で暗闇に消えていくように。

有限であるからこそ、後悔したくないと想う。そこに情熱が生まれる。もっと頑張ろうと思える。

好き、遊び(無報酬)、そして有限性。その3つによって青春は生まれるのかもしれない。

大人

中高生の生活システムには、青春が埋め込まれている。それは部活にしても、恋愛にしても、勉強にしても、友達との悪ふざけにしても、すべての活動にタイムリミットが設けられている(ように感じる)からである。

大人が青春を取り戻すには、期間を有限にすることで、永遠に続かないという切ない気持ちと対峙していくプロセスが必要なのではないかな、と考えてみたりしている。

野球少年が部活の引退を、高校生が卒業証書を意識するように、私たち大人も終わりを意識し、未来に向っていくことができたなら。

*1:最初は気づきませんでしたが、文字通り「青春は不要」という意味ではないということがだんだんわかってきました。こちらの解釈もお勧め: 【三月のパンタシア/青春なんていらないわ】歌詞の意味を徹底解釈!情感漂うひと夏の恋が描かれる!